闇に謳えば


序章
3


「なるほど、なかなかに見事なものだな」
 戦場を走る何千という戦車部隊を前に、女は感心したように言った。
 傍らには緑色の髪をした青年と、青色の髪をした少女が、同じように前線部隊を見つめている。
「ウェスト君の話によると、太陽の軍団って呼ばれてるらしいですよ」
 と、少女が頭の後ろで腕を組みながら言った。
「一応、地上では現状最強?とか」
 続いて、緑色の髪の青年。
 この戦場において異様な雰囲気を纏う彼らは、いずれも人ではなかった。
 細長い耳に、顔に走る赤黒い刻印。
 魔族と呼ばれる彼らは、自軍が劣勢にも関わらず、平然としてその戦況を眺めていた。
 それどころか、戦車、大砲、そして、歩兵を組み合わせた鮮やかな波状攻撃に、ある種の感嘆すら覚えている。
「しかし、ここでしか通用しないな」
 黄金の戦車が、3回目の方向転換をし始めた頃である。漆黒の髪をした女が残念そうに呟いた。
「初陣だ、多少派手にいっても構うまい」
 目を細め、口の端だけで笑うと、女はちらりと左隣に立つ青年を見る。そして、敵左翼に視線を動かすと、
「連中を後退させろ。手段は問わん」
 と指示を出した。
 すると、嬉しそうに青年が頷く一方で、右隣の少女が、ぷくりと頬を膨らませる。
「なんでラウルなんですか!!僕だって同じことできるのに!」
 その言葉に、ラウルと呼ばれた青年はにやにやと少女を見、そして、少女は心底悔しそうに地団駄を踏んだ。
 もはや恒例行事とも言える光景に、半ばあきれ顔で、女はため息をつく。
「ルキ、お前には後程別の仕事がある」
 言われ、少女――ルキの表情が一転。パァァと目を輝かせると、女の方を見て大げさに頷いた。
「んじゃ、行ってきますわ」
 それを気に留める様子もなく告げ、ラウルは小高い丘陵から飛び降りた。
 2本の剣を両手に携え、刹那。目にも止まらぬ速さで疾駆した。
 戦場を駆ける黄金の戦車部隊を前に、彼は剣を水平に構えると、そのまま敵左翼をかけ巡る。凄まじいスピードで斬り付けられた敵兵は、斬られたことに気づかぬまま半身を飛ばしていく。
 さながらその様は、緑の風のようであった。
 数分が経ち、だいたい数百基ほどの戦車を斬った頃、ラウルはふとその動きを止め、上空から降り立つその存在を、静かに迎え入れた。
 時が止まったように、そこにいた誰もが、魅入られたように空を見上げる。
 春の日差しの中、不釣り合いなほどの闇が、ゆっくりと戦場に舞い降りた。
「魔王……」
 誰かがぽつりと呟く。
 漆黒の闇を背負い、圧倒的なプレッシャーを纏ったそれは、そう呼ぶに相応しい気がした。
 戦場中の視線を一身に集めたその王は、女性と言うにはいささか低い声で告げた。
「魔王、カイン=レイヴンである」

「全軍退避!!至急後退せよ!!!」
 深紅のマントの指揮官は、眼前の魔王から発せられる、魔力の気配を察し、弾かれたように叫んだ。
 そして、自身も慌てて馬にムチを打ち退避しようとするが、強烈な魔力の気配に圧され、馬が動かない。振り返ると、他の戦車部隊も同様に立ち往生していた。
「戦車を捨てろ!!走れ!!」
 指揮官の言葉に、一斉に騎士達が城に向かって走り始める。誰一人、後ろを振り返らず、必死の形相だった。
 なんと、無様なことか。
 最強と謳われたこの黄金の部隊が、皆命欲しさに敵に背を向け、逃げ惑っているのだ。そして、それは自分も例外ではない。
 あの黄金色の闇を見た瞬間、本能が警鐘を鳴らすのだ。
 一刻も早く、あの闇の王から離れなくては、と。
 城まであと数百メートルというところだった。
 轟音と共に、凄まじい勢いで地面が揺れた。
 思わず逃げるのも忘れ振り返ると、天から巨大な黒い雷が戦場にいくつも撃ちつけている。
 まるで世界の終末が訪れたかのような光景だった。
 誰もが絶句し、その光景を悄然と見つめた。先ほど切り屠られた者たちの亡骸がその稲妻に触れた瞬間、黒い灰と散る。逃げ遅れた馬達が苛烈に嘶きながら、その体躯を黒に染めていった。
 しかし、その死の稲妻は、ある一定の距離を越えては落ちてこなかった。
 不自然なまでの距離感に、指揮官は呆然と呟いた。
「地形が……」
 凄まじい威力の稲妻は、突き刺さるように地面を抉りながら走る。いつの間にか戦場はいくつもの穴が開いていた。
 そして、魔王の意図していることに気づき、咄嗟に恐怖よりも悔しさがこみ上げた。
 ――戦車が、使えないのだ。
 戦車はその車輪を馬が引く関係上、平地でしかまともに機能しない。あの漆黒の魔王は、それをわかって、地形を変えるように魔法を放った。
 その魔法だけでこちらを全滅させるだけの力があるにも関わらず。
 しかし、次に飛び込んできた光景は、黄金の指揮官のその悔しさすら一瞬で吹き飛ばした。
 ――先ほど切り屠ったはずの敵兵達が、身を起こし、陣形を形作っているのである。
 間違いなくあの時、斬り、地面に伏す姿を確認したはずだった。
 信じられないと言った表情でその光景を見つめる彼に、魔王は、
「すまないな、我ら魔族は人よりも大分硬いのだ」
 と申し訳なさそうに嗤った。
 指揮官は項垂れた。国の技術の結晶である自慢の魔鉱石入りの大砲ですら、ダメージがなかったということか。
 鉄壁の戦法が崩れ、深紅の男は、自らの武功のすべてが崩れ去って行くのを感じた。
 敵の圧倒的な力を前に、なすすべなく打ちのめされる。
 そんな彼を嘲笑うかのように、魔王は言った。
「さあ、太陽の指揮官殿。賢明な指揮を頼むぞ」
 その言葉に、どうしようもない憤りを覚えたが、太陽の指揮官の誇りを胸に、自身を無理矢理奮い立たせた。なんとしてでもこの苦境を越えねばならなかった。
「全軍、城内に撤退!――籠城する」
 それは、彼の人生初めての撤退指示であった。

「おー、早いねー」
 一斉に城へと撤退していく人の群れを眺めながら、ルキは無邪気に笑った。朱色をした瞳を爛々と輝かせ、鋭い犬歯が口元から姿を覗かせる。
「籠城戦ねぇ」
 不意に、いつの間にか戻ってきたラウルが、難しい顔をしながら呟いた。鎧の類を一切身に着けず、肩を出したインナーを1枚着たのみの彼は、先ほど駆け巡ったからか若干呼吸が荒い。自分より頭一つ小さい少女の隣に立つと、同じように敵軍を見据え、呼吸を整えるように大きく息を吐いた。
 そんな彼を横目に見上げ、少女は大きく欠伸をしながら、眠たげに尋ねる。
「籠城戦って何日もかかるんでしょ」
「まあ、普通はそうなるな」
「めんどくさいね」
「まあな」
「僕、めんどくさいの嫌いー」
「んなもん俺に言うな」
「……ならば、帰るか?」
 唐突に会話に入ってきた声に、二人は思わず姿勢を正した。先ほどまで戦場の中央にいたはずの主が、気づけば背後に立っているではないか。
 漆黒の髪を靡かせて、魔王と称された女はじっと金色の瞳を戦場に滑らせた。あれだけ激しい魔法を使ったにも関わらず、呼吸も髪も乱れておらず、至って然としている。
 帰るか、と問われ、特に狼狽えたのはルキの方だった。ぶんぶんと首を激しく横に振り、
「います!めっちゃ!います!」
 と、訴えるように答える。まだ何もしていないのが不服だった彼女としては、この場で帰されるのは非常に困るのだ。
 そんな少女を見ながら、隣ではラウルが口元を抑えて肩を震わせていた。
「ラウル、お前はどうだ」
 しかし、主にそう問われるや否や、
「めっちゃ残りたいです」
 と慌てて答えるのであった。
 まっすぐと顔を向ける二人の意思を確かめるように見つめ、魔王――カイン=レイヴンは、静かに口を開いた。
「一晩で陥とせ」
 おおよそ無理な要求に、二人はぎょっと顔を見合わせる。しかし、カインはそんなことを気にする風もなく、
「ほとんどの兵は私と共に引き上げさせるが、魔獣と馬を1頭ずつ残す。好きに使うといい」
 と、淡々と指示を下した。
 ラウルとルキは、即座に目まぐるしく頭を回転させた。この主は厳しいが、出来ぬことを要求するタイプではないのだ。その一方で、言葉以上のことを求めていることも少なくない。今回も何か別の意図があるはずと二人は踏んでいた。なんとか答えを探そうと脳ミソを振り絞るが、そう簡単には思い浮かばない。
「返事がないな」
 珍しくすぐに言葉を返さないでいる部下を見て、カインは促すように言った。
 すると、二人揃って我先にと前に歩を進め、
「できます!!僕がやります、任せてください!!」
「お任せください、必ずこの俺が、一晩で城を落として見せます」
 弾かれたように答える二人に、漆黒の魔王はやれやれと嘆息する。
 顔を見れば何一つ思い浮かんでいないのは明白なのだが、二人がそう宣言した以上は任せるのみだった。
 二人の忠臣に無言の眼差しを向けてから、
「初陣の、良き報告を待つ」
 漆黒の魔王は白い外套を翻し、瞬く間にその姿を消した。
 そして、考えがまとまらぬまま返答をした二人は、この後1時間に渡り議論を繰り広げることとなるのであった。
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