闇に謳えば


第一章
4


 朝の城内はいつも少し慌ただしい。
 食事の時間が終わり、メイド達は掃除洗濯を一斉に始め、騎士達は訓練の準備。内官達はというと、会議の準備で書類を持ったまま走り回っている。
 そんな様子を横目に、リュールは廊下を足早に進んでいた。若草色の髪はやはり折れ跳ね、額当てから不自然に顔を覗かせている。
 最近の訓練は、もっぱら陣形を中心とした集団戦の訓練ばかりで、なかなか個人の技量には目を向けてもらえない。その為、せめて朝くらい個人の練習をしようと、いつもより早く家を出てきたのだった。
「リュール!!」
 そんな折、不意にかかった声に、リュールはキョロキョロと辺りを見回した。声の持ち主と思われる少女の姿は見当たらない。
 さて、どうしたことかと首を傾げると、今度は突然脇をくすぐられた。
「わー!」
 完全な不意打ちに、思わず悲鳴が上がる。周囲の注目を集めながら、リュールは勢い良く振り返る。
「レイア!脇はダメだって言ったろ!」
 すると、後ろでメイドを伴った栗毛色の髪の少女が、首を傾げてふふ、と笑った。
「一度目で気づかないから悪いんですよ」
 悪びれなく言う少女に、リュールはむぅと顔をしかめる。その理由には全く正当性がないのだが、どうもこの少女に言われると反論しにくい。
「もう、朝からどうしたのさ、公務あるんでしょ」
 半ば呆れながら問うと、少女はいつになく嬉しそうな顔をして、
「今日は、おやすみです」
 と答える。
「陛下が、たまには休暇も必要だろうとおっしゃられまして」
 なんで、と聞きかけたリュールに、レイアの代わりに答えたのは、隣のメイドだった。歳は20歳前後か、短く切り揃えられた黒い髪を揺らしながら、にっこりと微笑む。
 彼女は数年前から、王女付きとして、レイアの側に仕えている、メイド兼護衛である。黒と白のメイド服に身を包んだその少女の背には、到底メイドには必要のないであろう鉄の長柄が威圧感を放っている。
「アリーシャって、いつも槍背負ってるよね……」
 思わず口をついて出た言葉に、メイド――アリーシャは、誇らしげに胸を張った。
「武器は見えた方がいい場合もございますので」
 彼女は代々騎士の家系の生まれで、兄との後継者争いを避ける為だけにメイドになった。それ故、メイドは格好だけで、今目の前にいるのは、ベテラン騎士と何ら変わりない。
 そんな彼女に言われると、新米騎士のリュールは、そうですね、としか返しようがなかった。
「それで、どうしたのさ」
 隣からの謎の威圧感を振り切るように、リュールは栗毛色の少女に問う。
 すると、淡い桃色のドレスを見にまとった少女は、嬉しそうに後ろ手に隠していたものを取り出した。
 ――それは、ピンク色のエプロンだった。
「リュール、今日も寝癖ひどいですね?前回言いましたよね、寝癖直してこなかったら罰ゲームって。朝の訓練までまだ時間あるでしょう?これ、つけてください」
 と満面の笑みで言われ、リュールは思わず寝癖に手を当てる。
 彼の頭に、昨晩の父の姿がよぎった。
 ――なるほど、親子だ。
 妙な納得をして、盛大に背を向け走り出すが、敢え無く敏腕メイドに捕獲され、彼は父と運命を同じくするのであった。

「ぶはははははっ!」
 ようやく訓練所に辿り着いたリュールを出迎えたのは、親友の盛大な笑い声だった。
 今リュールは、ピンク色のエプロンに、跳ねた前髪にリボンという、大変奇妙な出立ちをしている。
 抗うことのできない見るも屈辱的な格好に、リュールは憮然と着替えを始める。
 それを見た先輩騎士達が、時折からかいながら通り過ぎて行く為、既に彼の精神はボロボロだった。
「寝癖直してれば防げた事態だろ」
「だって、本当にやるとは思わないじゃん」
「いや、レイアはやるだろ」
 なんて会話をしながら、ようやくエプロンを脱ぎさり、革でできた軽鎧を身につける。
 二人は未だ鉄鎧を身に着けられることが許されておらず、先輩たちの銀の輝きを横目にいいなぁ、と口々に呟いた。
「おい、そこの悪ガキども」
 唐突に呼ばれ、二人は同時に振り返る。相変わらずくたびれた姿の団長は、リュールの前髪を見ると、思い切り吹き出した。
「お前それ……どうしたの」
「放っておいてください」
 ぷるぷると震える団長を前に、リュールはやはり憮然と返す。昨晩の父の気持ちが、少しわかった気がした。
「まぁいいや、お前ら、着替え終わったらついてこいや」
 ちらちらとピンク色のそれを確認しながら、そして、笑いを堪えながら、ジェラルドは告げる。
「――陛下がお呼びだ」
 昨日のことが頭を過ぎり、リュールとクロウは、顔を見合わせ青ざめた。

「ううむ」
 アースウォリア第17代国王ジゼル=ウォリアは、少し困ったように唸った。
 静粛な王座の間に、奇妙な沈黙が流れる。
 ジェラルドに連れられ、リュールとクロウは、王の面会に訪れていた。王の前に跪く彼らは、今、ある種のピンチを迎えている最中である。
「……それは、流行りなのかな?」
 ようやく意を決したように、王は、そのピンク色のリボンを指した。
「はや……って、ます」
 前髪についたそれを手で隠し、リュールは声を絞り出す。
 隣ではぷるぷると友人が震え、王の隣に立つ父は、酷く複雑な顔をしている。目の前で同じように跪く上官は、必死に隠してはいるが肩が小刻みに上下していた。
 各々がなんとかその時をやり過ごそうとしている中、なるほど、と王は頷くと、
「そうか、私も明日からしてみようかな」
 あっけらかんと言い放った。すると、後ろに控えていたレイアが慌てて王の腕にしがみつき、
「私のせいです!!」
 と白状する。
 一瞬間が空いて、深々としたため息が王間に響きわたる。
「レイア、彼も仕事なんだからいけないよ」
 父の静かな諫言に、王女は小さくごめんなさい、と呟いた。
 そして、王は改めてリュールに向き直すと、穏やかに笑い、
「すまなかったね」
 と謝意を示した。王直々の謝罪に、リュールは慌てて首を振るが、ジゼルがそこにいる全員を見回すのを確認し、背筋を伸ばす。
「さて、今日ここにきてもらったのは、他でもなくてね」
 王座に深く腰を掛け、ジゼルは話し始めた。それを合図に、隣で立ち控えていたシウバも跪く。
「あっ、あの!」
 緊張感が漂い始める中、咄嗟に声を発したのはクロウだった。少し驚いた顔して、ジゼルがその面を向ける。
「さ、昨日は大変申し訳ないことを……」
 入って半年の新米騎士が呼ばれる理由など 、考えられるのは王女連れ出し事件くらいしかない。
 どうせ怒られるなら先に、と思ったクロウが慌てて弁解を始める。
 しかし、目の前の王は、そんな彼を見て、
「あぁ、それについてじゃないよ。だいたい、それを言ったら、君達のお父さんも同じことをしていたからね」
 と、笑う。
 はたと、クロウが顔を上げた。
「父さんも?」
 慌てて、前で跪いていたジェラルドが、彼の頭を押さえつけるが、ジゼルは、いいよ、とその手を下ろさせる。
 そして、クロウとリュールの前にやってくると、その空色の眼差しを向け、
「シウバもファングも戦時中にも関わらず、私を連れまわっていたよ」
 と片目をつむった。
 皆が一斉にシウバを向くと、壮年の騎士は眉間にシワを寄せ、小さく呻く。
「二人とも、すっかり大きくなったね」
 ジゼル、シウバ、そして、今は亡きクロウの父ファングの3人は、かつて国外にもその名を轟かせる勇猛な戦士だった。その勇猛たる噂は何度も聞きに及んだが、実際に王の口からそれを聞くと、どこか不思議な感じがする。
「陛下、用件を」
 自身の過去をバラされて、やややりにくそうにシウバが咳払いをすると、ジゼルは仕方なさそうに笑って、王座へと戻っていった。座るや否や、一転、真剣な表情をして、ジゼルは口を開く。
「魔王軍が侵攻を始めているのは聞いているね?」
 王の問いに、二人は頷く。
「アルラードが滅びてもうそろそろ一月経つ。そろそろ、敵が動き始めるんじゃないかと思っているんだ」
 その力を持ってすれば、国の1つや2つなど滅ぼせるはずの魔王軍は、あれ以来不気味なほど静けさを保っていた。アズウィルを滅ぼした時のように、いっそ長い年月動きがないのであればよいのだが、今回は、アルラードの大臣を寄越したことからも、そう遠くない将来に攻めてくる可能性が高い。
 アルラード滅亡の伝令を受けてから1週間半。ちょうど、このオーリリアの国々にその情報が行き渡った頃である。
 だとすれば、攻めてくるタイミングとしては、もうそろそろだろうというのが、王ジゼルと総指揮官シウバの共通認識だった。
「そこで、君達二人に特別任務を与えようと思う」
 リュールとクロウは目を丸くした。
「国の守りに兵を割く関係上、どうしても私とレイアの警護が手薄になるんだ」
 王の言葉にピンと来ず、二人が一瞬首を傾げると、補足してシウバが口を開いた。
「要するに、陛下と王女の夜警をして欲しいということだ」
 夜警。
 その言葉に、二人は目を輝かせた。騎士の仕事の中でも、夜警はベテランにしか割り当てられない仕事なのだ。しかも、王族の夜警は、7人の団長のうち、必ず一人がつくほどの重要な任務である。
 それを、王直々に命じられるなど、こんな嬉しいことは他にない。
「そういうことだ。引き受けてくれるかな?」
 リュールとクロウは、互いに顔を見合わせた後、
「もちろんです!!」
 と同時に答えた。

「子供の成長はあっという間だね」
 ジゼルは、椅子に腰かけながら、王間に一人残ったシウバにそう言った。しかし、当のシウバはというと、答えず憮然とそっぽを向いている。
「私は、仕事とプライベートは分けるタイプだよ」
「……そういう問題ではない」
 息子のリボン騒動と昨晩の自分が被り、この壮年の騎士は釈然としない様子で鼻を鳴らす。
 王女に注意しておきながら、自分は許されるのかと言わんばかりの口ぶりだ。
 そんな彼に、やれやれと笑うと、ジゼルは立ち上がり、彼の肩を叩いた。やはり憮然としたまま振り返り、シウバは長年の友を、その琥珀色の瞳で睨みつける。
「悪かったよ、次からはしないよ」
 降参だ、と両手を上げて謝るジゼルに、ようやく壮年の騎士は、大きくため息をつきながらも表情を解いた。王に謝らせるなど、周囲に人がいれば、大いに問題になるような事態であろう。
 しかし、彼らにとってはこれが本来の付き合いの形であった。20年以上経った今でも、それは変わっていない。
「不安かい?」
 それは唐突な一言だった。シウバは一瞬目を見開いてから、長めに目を閉じた。
「……普通の親なりにはな」
 これから始まるであろう戦に、否が応でも子供たちは巻き込まれてしまう。
 下手をすれば明日、国がないかもしれない。
 その可能性だって否定できないような敵なのだ。
 普段自分の感情を表に出さないシウバも、さすがに我が子を危険に晒す不安に苛まれていた。
 そして、それは娘を持つジゼルも同じである。直接戦場に赴く機会はないだろうが、アルラードと同じ途を辿らないとは言い切れない。
 同じ子を持つ親として、二人は静かにその想いを共有した。
「それでも、想いはあの時と同じだ」
 誰に言うのでもなく、ジゼルが呟いた。言葉の意図を理解して、シウバは無言で首肯する。
 空色の瞳が、いつになく真剣な光を帯びていた。
「誰一人として今、親子健在とは言えないが、皆、順調に育っている。私は、今日リュールとクロウを見て、少し嬉しく思ったよ」
「レイア王女も立派にお育ちになった」
 シウバの言葉に、ジゼルは穏やかに微笑む。そして、何かを懐かしむように、小さく言った。
「お互い年をとったね」
 シウバは、再び大きく息を吐き下ろすと、
「あぁ」
 と遠い目をして頷いた。
「戦か……」
 そこはかとなく不安を含んだシウバの呟きは、正午を告げるレヴィアントの鐘にかき消されるのであった。

 ――闇の影が、もうすぐそこまで忍び寄っている。

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