闇に謳えば


第一章
7


「ファングのことを知りたいか?」
 それは、唐突な問いかけだった。
 リュール達と分かれて早1時間。シウバと共に王の寝室を訪れたクロウは、挨拶もそこそこに警備についた。
 耳が痛くなるほどの静寂の中、隣の存在に意識を向けながらも、睡魔と戦っていた時のことである。
「父さんのこと?」
 クロウにとって、父親とは、コンプレックスそのものだ。クロウの父は、彼が5つの時に流行病で亡くなった。物心ついた時には、既に父は病床に伏していた為、彼には父親と遊んだ記憶がない。周りが父親と楽しそうに遊んでいるのをよく恨めしく思ったものだ。
 周囲の大人達から「お前の父さんは、素晴らしい騎士だったんだよ」と言われても、あまりにもかけ離れすぎていて実感が沸かなかったし、それどころか、クロウは、遊んでくれないファングのことを嫌ってさえいた。
 幼い自分を残して、母を一人残して逝ってしまった父のことを、10年たった今でも、彼はまだ受け入れられずにいる。
 もちろん、知りたくないと言えば嘘だ。父の親友であったシウバの言葉であれば、真実に限りなく近い姿を教えてくれるであろう。
「俺は、父さんよりもあなたの事が知りたいです」
 それにも関わらず、クロウの口から飛び出た言葉は、父へのものではなかった。真っ直ぐにシウバを見つめるクロウは、唇を震わせ、拳を握っている。
 つい数時間前のことだ。彼は一つ嘘をついた。「親父みたいになりたい」と言ったリュールの問いへの答えである。ひとえに友人への気遣いで発した嘘だったのだが、先ほど別れた際の彼の表情を思い出し、後ろめたさが心を掠める。
 本当は、彼だって父親であるシウバと仕事をしたかったに違いない。しかし、その思いとは裏腹に、少しだけ優越感を覚えたのも事実だった。
 シウバ=フィリス。憧れの騎士であり、憧れの――父親。
「そうか……」
 真っ直ぐと向けられた灰色の瞳を見つめ返し、シウバは大きく息を吐いた。それから、目をつむり、ややしばらくして、
「……昔話をしよう」
 と決心をしたように口を開いた。
「昔、アースウォリアには二人の騎士がいた。一人は猪突猛進の考え無しで、もう一人は思慮深く冷静な男だった」
 遠くを見つめながら話し始めるシウバに、クロウは、はたと顔を上げる。
「猪突猛進な男は、敵陣に無謀にも単騎で乗り込み、敵に囲まれることが日常茶飯事だった。しかし、不思議と毎度無事に帰ってくる。なぜだと思う」
 いつになく優しい瞳をして、シウバが問いかけた。
 クロウは考え込んだ。今、シウバが話そうとしていることは、紛れもなく父のことなのだ。答えは何個か思い浮かぶ。しかし、聞きたい気持ちと、意地が混ざり合った感情が、クロウの口を重く閉ざしていた。
 シウバは、そんな彼の気持ちを察したように、小さく頷いてから、その視線を再び遠くに向けた。
「男が囲まれると、決まって助けが来るのだ。燃えるような赤髪をした、厭味ったらしい男だった。毎回颯爽と現れ、敵を薙ぎ倒した後、こう言うのだ。『今日もいい囮だった』と。気の短い猪男は、その物言いにいつも腹が立って仕方なくてな。戦の度に大喧嘩だ」
 シウバは、やれやれと笑った。まるで、それがついこの間の出来事であるかのような口調だった。
「……頭のいい男だった。人望もあった。私にはないものを全て持っていて、正直羨ましかった」
「えっ」
 クロウは、そこで思わず驚きの声を上げた。シウバと言えば、このアースウォリアの羨望の対象である。そのシウバが、他の誰でもなく、自分の父のことを羨ましいと言ったのだ。クロウにとって、その言葉は自分自身を揺るがす程衝撃的なものだった。
「その男がいなければ、今の私はいない。思い返せば喧嘩ばかりだったが、あいつほど信頼のできる男もいなかった」
 そんなクロウに、シウバは呟くように続けた。琥珀色をした瞳が、穏やかな光を放っている。
「本来であれば――」
 突然、シウバが言葉を切った。表情が一変、険しい顔になる。
 バンッ!
 彼は、即座に扉を開くと、確認する間もなく部屋へと突入していく。
 あまりに急な出来事に混乱しながら、クロウもあとに続いた。
 部屋に入ってまず目に入ったのは、緊張の面持ちでベッドサイドに立つ国王ジゼルの姿だった。彼の視線を追い、バルコニーを見る。
 男が立っていた。
 一つにまとめた緑色の髪を風に棚引かせ、不敵な笑みをたたえるその男は、さながら満月を背負っているようである。
 左半顔を覆う刻印が、強烈にクロウの目に飛び込んできた。
 ――魔王軍。
 ついこの間まで噂でしかなかった存在が、今確かに目の前に存在している。
 クロウは、思わずごくりと喉を鳴らした。暑くもないのに、額を汗が走る。
「魔王一が配下、ラウル=クィレアード。アースウォリア国王、あんたの首取りに来たぜ」
 なんとも単刀直入な挨拶である。二本の剣を携えた男は、ご丁寧にもフルネームで名乗りを上げ、黒い刃を持った左手で肩をとんとんと叩いた。
 シウバが間に入り、直立したまま、その魔族の男をまじまじと見据える。
「これはわざわざご丁寧に。しかし、些かこの時間の訪問は無礼であるように思いますが」
 ちらりと視線がこちらを向いた。意図に気づき、クロウは様子を窺いながらジゼルの元へと距離を詰める。
「そりゃ悪かった、文化の違いまで頭回らなかったぜ」
 くくと喉で笑いながら、男が前傾をとったその刹那。
「炎の獅子よ!」
 シウバが突然吠えたかと思うと、手に銀色の刃を顕現させる。
 ギイイイン……
 静かな夜に金属音が響き渡る。
 自らを軌道から外し、一直線にジゼルを狙った黒い刃を受け止め、
「そう焦らずともよいのでは」
 シウバが再度、クロウへと鋭い視線を送る。
「クロウ!陛下をお連れしろ!」
「は、はい!」
 絶対的な強制力を持った指示に、反射的に応え、クロウはジゼルと共に部屋を去った。

 視界の端で二人が出ていくのを確認すると、シウバは再び目の前の敵に視線を戻した。
 一方、その敵はと言えば、自分のスピードを見切り、それを受けたシウバに驚いているようだった。
 彼の一撃を力で無理やり跳ね返し、シウバは構えを取る。
「ここを通りたくば、私を倒してから行くといい、魔王の配下殿」
「いいねぇ、面白くなってきた」
 ひゅんと右の紅の刃で空を切ると、男――ラウルは楽しげに笑う。しばしのにらみ合いが続き、しびれを切らしたラウルが床を蹴った。
 まるで、風の如き疾さで一気に距離を詰めると、身体を落として、シウバの懐へと踏み込む。
 しかしシウバはまるで焦る様子もなく、剣を縦に黒い刃を受け止めると、そのまま横に受け流す。支えを失ったラウルの体はそのまま前のめりになり――刹那、視界からその緑の影が消える。
 倒れる勢いを利用して、ラウルが上空に跳んだ。そして、シウバの死角から今度は赤い刃を首にむけて振りぬく。
「ぬぅ」
 首すれすれに刃を受け止めるが、重力と共にのしかかる剣戟は重い。
 不自然な体勢で受けているせいで、剣は安定せず、ぷるぷると小刻みに震えている。
「そら、もう一本だ」
 それを嘲笑うかのごとく、2本目の剣がシウバの首を狙う。
 転瞬。2本目を振り上げたことで微妙にズレた重心を利用して、シウバは刃をくぐり抜けるように腰を落とした。
 金属が擦れる耳障りな音が、部屋に響きわたる。
 身体を捻り、落下するラウルを捉え、
「ふんっ」
 狙いは足。宙に浮いて無防備な足を目掛けた横薙ぎが、銀閃を描いた。
「がっ!」
 ラウルが剣を持ったまま器用に前転する。左脚から赤黒いものが流れ落ちた。
「おっさん、容赦ねぇな」
「奇襲をかけておいて加減も何もないだろう」
「ま、そうね」
 あくまで冷静にシウバは答えると、ラウルは足を軽く押さえながら立ち上がる。
 シウバはその様子を見ながら眉間にシワを寄せると、ラウルは心底楽しそうに口の端を上げる。
「あんたが何考えてるから当ててやろうか。――なぜ王様を追わないのだろうか、だろ?」
 言うが早いか、ラウルが再び床を蹴る。
 十字の剣を受け止め、シウバは低く唸った。
「もう気づいてるとは思うが、ここに来たのは俺だけじゃないんでね」
 剣越しに、真紅の瞳が愉快に輝く。シウバは黙ったままその瞳を琥珀色の眼光で返す。
「逃げたお二人さん、ここで俺に殺された方がよかったかもしんねーぜ?アイツに殺られるよりな!」
 力で押し切られ、シウバは思い切り床に転がった。その隙を逃さずラウルは追い打ちをかける。しかし、シウバはラウル側に一転すると、そのまま低姿勢で起き上がり足払いかけた。
 想定外の攻撃にラウルは態勢を崩し、隙をついたシウバがそのまま懐に突っ込んだ。思い切り吹き飛ばされ、ラウルは壁に叩きつけられる。
 背中からの強烈な衝撃に一瞬視界が歪み、ラウルは膝をついた。悔しげに口を結ぶと、カッと真紅の瞳がシウバを睨みつける。
「残念ながら、先ほど逃げた奴も相当にくせ者でな。私の助けなど必要ないだろうさ」
 あくまで冷静に声音を変えず、シウバが言った。ラウルがゆっくりと立ち上がる。
「いいねぇ、あんた」
 ゆらりと顔を上げ、くくく、と喉で笑う。
「どうせ死ぬんだ、楽しもうじゃねーか!」
 怒りとも愉悦ともとれる表情で、ラウルが吼えた。
 ラウルの昂ぶりを介することなく、シウバはやはり眉一つ動かさず、剣を構えた。

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